レポート未来デザインネクスト2022 未来にデザインは何をのこせるか
未来デザインネクスト6月10日
福岡市科学館サイエンスホール
(レポート文責・高度総合デザイン科学科長・田所恵介)
この不確実な時代に、デザインの未来を語ることは、とても難しい。デザインやクリエイティブをこれまで実践してきた筆者にとって、経験則が未来への指針となる保証はどこにもない。おそらく、ベテランほど、未来のデザインの姿がつかめずにほぞをかむ思いをしていることだろう。過去の事例が未来にあてはまるとは限らない、そんなつかみどころのない分岐点にさしかかっているということが、正直、この時代のこの瞬間の不安なのである。
世の中は、わずか2年という間に、新型コロナによるパンデミックとロシアのウクライナ侵攻という未曾有の混乱が世界を憂鬱にし、歴史の針を一気に進めたり、逆回ししたり。まさに、不安定が日常化した。背景には、分断を生む民主主義対全体主義というイデオロギーの覇権争い、エネルギーや資源、市場をめぐってますますグローバル化する経済、それによって引き起こされる地球環境の危機などが複雑に絡みあい、デザインで問題を解決しようにも、あまりに肥大化した現代社会の歪みを目のあたりに嘆息するより他はないように思える。しかし、未来へとつながる光明の一筋を見出し、デザインの未来を考えてみるには、
またとない歴史的瞬間に生きているということも事実なのかもしれない。
今回の未来デザインネクストは、工業化社会を支えてきたインダストリアルデザイン、情報化社会を拡げてきた情報デザイン、そして、社会や地域への問題提議としてのアートという3つの領域で各界のレジェンドと言うにふさわしい実務家・研究者を招いて、ファシリテーターとの対談を行い5時間にわたるセッションを繰り広げた。
このデザインフォーラムの収穫は、登壇者それぞれが歩んできた業績を振り返り、20世紀と、21世紀の過渡期のデザインがどういう社会的な文脈の中で生まれてきたのかを検証し、未来へつなぐために、そこから抽出されたエッセンスを、学生諸君に提言することにある。レジェンドならではの知見、卓見が惜しげもなく披露されたことに感謝したい。
レガシー対談①「モダンデザインは人々を幸せにしたか?」
山田晃三(月影コンサルティング代表・GKデザイン機構元代表取締役)
佐藤俊郎(福岡デザイン専門学校理事長・環境デザイン機構代表)
一部のゲストは、元・GKデザイン機構の代表取締役社長・山田晃三氏である。ファシリテーターは、本校理事長・佐藤俊郎。両氏ともにGKデザイン機構(以下GKと略)出身である。
GKは、東京芸術大学の助教授だった小池岩太郎のもとに集う、榮久庵憲司ら若きデザイナー5名で1953年に結成された日本初のインダストリアルデザイナー集団である(会社設立は1957年)。今や世界各地に拠点を持つデザインファームだが、その発展の歴史は、日本の高度経済発展を製品のデザインという側面から支えてきた歴史でもある。
20世紀初頭ドイツにおける工業デザイン、モダニズムデザインを普及させたバウハウスの動向に応える日本のデザインファームという側面を持つ。GKは、設立時より「モノの民社化」、「美の民主化」をスローガンに、設立当初からヤマハ楽器やヤマハ発動機、丸石自転車、キッコーマン醤油、大阪万博の環境デザイン、JR東日本車輌など、広く日本人に、ゆたかな暮らしとは何かをデザインというカタチで提供してきた。
山田氏は、GKグループの総帥として、さらに日本のデザイン界で手腕をふるった榮久庵憲司とのやりとりの中で学びとった榮久庵の仕事への情熱やその思想を振り返り、デザイナーとしての日々の所作、思考を、いくつかの逸話を例に語ってくれた。
インダストリアルデザインというジャンルから製品づくりを行ってきた山田氏は、モノやメディアのデザインのその先にあるものをこれからのデザイナーは学ばなくてはならないという。AI時代のデザインはもう始まっていると山田氏はたたみかける。既存のデザインをパターン認識して学習させ、ビッグデータによるマーケティングをかけ合わせることで、高度なデザイン製品をAIが作り出す時代にきている。だからデザイナーは、より人間らしさを追求しなければならないと語る。間や曖昧さといった人間だけが持つ感性、民族の文化をよく熟知することでもあろうか。
利休は、朝鮮半島で生活雑器として用いられた高麗茶碗に「わびさび」を見出し、茶道のなかに日本独自の文化を創造したが、AIの作り出すデザインという器に真の価値を挿入できるのは人間だけであることは確かだ。
レガシー対談②「情報デザインはどこを目指しているのか?」
河口洋一郎(東京大学名誉教授)
中村俊介(しくみデザイン代表)
二部のゲストは、東京大学名誉教授・河口洋一郎氏である。
河口氏は、日本の1980年代のCG黎明期から表現活動を続ける大御所である。東大の名誉教授であるばかりでなく紫綬褒章を受賞した栄誉ある人でもある。その肩書きとはうらはらに、楽屋に現れた河口氏は、意表をつく自由闊達、天衣無縫なお人柄であった。ファシリテーターをお願いしたしくみデザインの中村氏とともに登場。両人とも気さくで明るいお人柄で一気に会場の緊張が解ける。楽屋裏から二人で冗談を飛ばしあい、笑い、ふざけ合うというハイテンションぶりで、踊り出しそうな勢いでそのまま登壇していただく。
ファシリテーターの中村氏はインタラクティブデザイン領域で活躍するメディアアーティストであり、また、カメラで自動楽器演奏できるアプリ「KAGURA」で米Intel社のアプリ開発コンテストでグランプリを取ったり、近年は、スプリンギンというプログラミング教育アプリで知育教育の実践を行っている気鋭の人。そんな中村氏がテンポ良く、河口氏が取り組んできたCGアートのこれまでの創作を聞き出していく。
(中村) 河口氏の創作の原点とは?
「僕は幼少期を種子島で過ごしたんです。そのときからずっと興味があることは古生代やカンブリア期といった太古のこと。たとえば、5億数千年前から生きているクラゲや巻き貝、節足動物なんかのことを考えて、それが進化したらこうなるんじゃないかというモデルをつくってみる。すると、彼らの5億年先の姿が見えてきて、作品ができあがるんです。5億年前と5億年先って繋がっていないようで、じつはきちんと繋がっている。だから、5億年前の生物の動きや形状を知ることで、5億年先の未来がわかる。そうして完成したデザインを未来に持っていくことが僕の夢」
河口氏は、1975年にCTRグラフィックディスプレイによる造形実験を開始、初のCG作品『Pollen』を完成させる。1976年よりグロース・モデルの本格的研究に着手、初の作品『Shell』を制作。「自己増殖するグロース・モデル」がこの頃より現在に至るまでの一貫したテーマとなる。グロースとは文字通り「成長」であり、作品そのものが細胞を増殖させながら成長してゆく様をCG映像から体感することができる。河口が呼び覚ますのは、「宇宙や生命体の体内に入り込む」感覚である。指数関数的なコンピュータテクノロジーの発達によって、CG表現は今や無限の可能性を秘めるが、河口氏は、反面、自身の肉筆による作品にも意欲を見せる。ステイホームの渦中に描き上げたというという大型の絵画は、実に素晴らしかった。
レガシー対談③「アートの力を信じるべきか、否か?
芹沢高志(アートプロデューサー・P3代表)
宮本初音(現代アート展コーディネイター ART BASE88代表)
さて、セッション最後は、アート論議である。と言っても、アーティストの創作活動の話ではなく、アートを社会にどう実装し、機能させていくかというアートイベントのキュレーションやディレクションの話である。登壇していただいたのは、芹沢高志氏。90年代から国内のアートイベントのディレクションの一役を担ってこられた方である。ファシリテーターを務めるのは、福岡で同じくキュレーターとして活躍される宮本初音氏。
芹沢氏は、当初、アートとの関わりを意図していなかったという。芹沢氏はもともと都市や土地利用計画分野のエコロジカルなプランニングを生業としていたが、いろいろな巡り合わせで、芸術祭に関わるようになる。きっかけは、東京・四谷と新宿御苑の間にある禅寺「東長寺」の新伽藍堂建設プロジェクトに関わったことだという。
「訪れる人だけでなく、同時代に生きている人や文化に向けて寺を開いていく。そんな場所になればと講堂を建設、その後、新伽藍はギャラリーとして現代アートを展示するスペースとして活用されていく。東長寺のプロジェクトの後、「場所」と向き合う活動を広げ、「とかち国際現代アート展(デメーテル)」の運営に関わっていく。2005年の「横浜トリエンナーレ」では、山下埠頭先端の保税地区にある倉庫を会場に使う。
「保税地区というのは、空港の免税エリアと同じで、日本なのか日本じゃないのか非常に曖昧な場所なのです。その非日常的で曖昧な空間というロケーションに、ただ作品を展示するにとどまらず、風景と切り離せない空間をつくりだすことができた」と芹沢氏は語る。別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」、「さいたまトリエンナーレ」など、芹沢氏は、「場所」と向き合い、地域にとってのアートの必然性を追求していくことになる。
芸術祭は、アート作品と開催される場所・まちとの関係性が、ある意味、芸術祭そのもののコンセプトメーキングとなることから、近年は、アートフェスティバルを地方活性化の強力な手段として活用する自治体も多い。
芹沢氏らが牽引してきた芸術祭のディレクションは、アートを使って、「場所」をデザインする行為とも言える。アートから見えてくる風景、地域性、新しい価値の発見。「問い」をきっかけに、未来に目を向けさせるスペキュラティブ・デザインの手口として、アートフェスティバルの在り方を考えてみるのも面白い。そんな気づきを得た。